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文化の違いにおけるマネジメントスタイルの変容

投稿 11ヶ月 前 によって David Sweet

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望もうが望むまいが、マネジメントスタイルの変化は起こっている。だが、文化の違いがその変化にどのような影響を与えるのだろうか?

スマートフォンは持っているだろうか。そこで、Googleは使っているだろうか?服、食、旅行、音楽、調べ物にお仕事情報……何かを調べるのに、インターネット上のサイトを利用したことは?インターネットという情報源は人々に影響を与え、国同士、特に似たような考え方や貿易関係を持つ国同士をより密接につなぎ合わせている。

この事実は国同士や特定の個人だけでなく、あなたやあなたの知り合いにも影響を与えるものである。日頃から情報に晒されている以上、考え方や何かの訴求、新しいテクノロジー、議論、スピーチ、テレビの広告、商品などから常に影響を受け続けている。あらゆる情報の渦中で、それを避けて生きることはもはや不可能となっているのだ。

 

マネジメントスタイル:西洋と東洋

情報の渦は、マネジメントスタイルまでもを変えるのだろうか?日本とアメリカを比較すれば、そのマネジメントスタイルには大きな違いがある。しかし、情報の奔流は早いペースの変化を生み出し、世界をより小さく、近いものにしていく。その中で今のマネジメントスタイルを維持していくのは、もはや難しくなってくるかもしれない。

例えばアメリカ、イギリス、オーストラリアを一つのグループ、日本や東アジア諸国を一つのグループ、というように、似通ったマネジメントスタイルを持つ国同士を一つのグループにまとめることができる、と信じられてきた。しかしながら、国によっては慣習や文化のルーツやリーダーの役割が違うのも見逃せない事実である。この事実は、ビジネスに悪影響を与えることはあるのだろうか?

グローバル企業が日本に進出してくると、「本社」にいる人たちは文化の違いというものを大いに実感する。逆に日系企業が海外展開をし、地元でスタッフを雇用しようとすれば、たちまちにカルチャーショックを受けるだろう。この「文化的差」によって、マネジメントスタイルとはその土地に合わせて変化することを強いられている。

ならどの文化がより良いもので、この先どう変わっていくのだろうか?

 

価値、普遍性と拡散

国の文化とリーダーの役割は、その国におけるマネジメントスタイルの構築に多大な影響を与える。というのも、価値観や常識などは、若いうちから教育の一環として教え込まれるからだ。その結果が次のような部分に文化的差異として現れるのである。

·他人に対するリーダーの影響力
·エラーやトラブルが発生した時に、社員にかかるプレッシャーとその結果
·決断を下すまでにかかる時間や、最終決定者が個人か集団か、その責任の所在

ここ数年のうちにマネジメントスタイルに確実な変化が現れた国もわずかだが存在する。そういった国では、部下やスタッフをきちんと扱えば(しっかりとした給与を与える、休みを取らせるなどしっかりとしたケアをすること)、部下やスタッフもそれに応じてしっかりと結果を出すという認識が広がっているのだ。そうして出された結果は既存顧客から新規顧客へと伝達され、企業は繁栄していくことができる。仕事を「最善」に遂行させる能力というのは、企業の繁栄をどれだけ望んでいても、全ては経営陣のマネジメント能力一つで抑えも促進もされるのである。

経営陣がその下に影響を与えるのなら、その経営陣、ディレクターやマネージャーに影響を与えることができるのは誰、もしくは何だろうか?

「トップダウン」スタイルの経営では、CEOの考え方が組織全体に反映される。国の方針もトップダウンに企業へと影響を与えることができる。日本とアメリカを比較すると、市場シェア、コマース、ビジネス必勝法などに対して、似たようなアプローチと信念を持っていることがわかるだろう。だが達成のための手段は、地域によってバリエーションが発生し、その土地の文化や風習に根ざした適応をしているのだ。

日本とアメリカは、これまでしっかりとした取引関係を築いてきた。しかし、それぞれの慣習の中で企業の繁栄のために最善の風習が議論によって選択され、文化的な「中間地点」を採用するケースには至っているだろうか?それとも、この関係性もまた、適応したバリエーションの一つに過ぎないのだろうか?

 

権力と個人

マネージャーの反応は、その国での法と教育の制度によって変化する。ここでリーダーシップと権力、その社会がどれだけ権力の行使に寛容なのか、に着目して考えてみよう。権力者の下す「命令」に対する反応は、「冗談でしょう?」から「かしこまりました」まで、国によって多種多様だ。

権力と意思決定プロセスは反比例すると言われている。尊敬されている人はそれだけ、決断を下す前に他人の意見を参考に、最善と総意を判断しようとするからだ。

国や企業のリーダー、あるいは文化や伝統から影響を受けていないと感じると、人の意思決定は早くなることもまた事実である。これは影響を受けている人よりもリスクをとることに躊躇がなく、迅速な対応と新しい方法に素早く適応する、もしくはその心構えがあるからである。

経済が豊かな状況にある国では、国のトップが賞賛を一手に引き受ける。しかしその賞賛がグループに与えられるべきものであるなら、首脳はそのグループを褒め称え、自分と彼ら、双方による成功だったと公言するだろう。

 

リスク回避

日本とアメリカでは、さらにリスクをとる、もしくは回避する行動にも違いが現れる。日本では一つの仕事を「一生のもの」と捉える文化がある。この事からも見えてくるように、日本ではリスクや不確定要素を可能な限り回避したいと考え行動することが伺えるだろう。

一方でアメリカでは、人々はリスキーな決断でも必要であれば取ることが多く、その結果で企業が利益を得ればその個人に賞賛が与えられる。もしこの決断が失敗で、企業が逆に不利益を被った場合、当人はリスクの代償としてクビになる可能性があるのだ。しかし同時に、新しい雇用主はそんな決断を「勇気と革新性がある」として評価することも、同時に存在するのである。

当然ながら、常に正しい人は存在しない。トーマス·ワトソン、IBMの元トップは1943年、「世界のコンピューター市場にはコンピューターおよそ5台分のシェアしか存在しない」と公言しているほどだ。しかし挑戦無くして成功はない。リスクを分散させ、バランスを取ることが成功への鍵である。

 

長期と短期

モノ作りの職人は様々な場所からアイディアを集め、より良い製品作りに役立てている。マネジメントスタイルも同様に、多様なモデルから良い点を集め、より良いものを作っていくことができる。

どんな企業でも、長期で働く人と短期で働く人とが存在する。日本の企業は長期的な物事とその結果に目を向け、社員もまた長期間その企業で働くことで「忠誠」を示す。一方でアメリカの企業は、短期的に働く人とその成果に注意を向け、個人のキャリア形成を重視する傾向にある。

しかし昨今、日本でもアメリカのような個人のキャリアを重視した考え方が広がりつつある。候補者は従来の企業と役職名の書かれた職務経歴書ではなく、自らのスキルを示したポートフォリオキャリア形式の職務経歴書を作るようになってきているのだ。

端的に言えばここには二種類のマネジメントスタイルがある。一つは短期的な仕事計画、個人プレーと結果を重視し、それらを積み重ねていくというアメリカ式のもの。もう一つは長期の人生計画、自信や信頼を積み重ねていく日本式のものだ。アメリカ式の方が転職は容易な一方で、日本式では仕事は人生のものであるという「安定」がある。

しかし2016年現在、この両極端な風習は変わりつつある。よりグローバルスタンダードな視点が求められているのだ。両方のマネジメントスタイルにおける文化的相違が終結に向かうかは議論の余地があるものの、確実に、そして想像よりも早いペースで、世界は変わりつつある。